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2007年1月22日 (月)

「さよなら、サイレント・ネイビー地下鉄に乗った同級生」

Ayonara 昨年の11月、NHK番組の「ブックレビュー」をたまたま見ていたら「さよなら、サイレント・ネイビー地下鉄に乗った同級生」の著者伊東乾(イトウケン)さんが、黒いサングラスをかけて現れた。「シャイな作家さんなので、サングラスをかけてきたのかしら」と、私は一瞬思った。伊東さんが椅子につくとすぐにサングラスをはずし「サングラスをした僕と、はずした僕の印象は違うでしょう。人は先入観で物事を判断しがちです」と言う出だしから彼のインタビューが始まったように記憶している。

オウム事件で地下鉄にサリンを撒いた豊田亨被告と著者は、東京大学理学部物理学科で同級生だった。サリンを撒いた豊田と同じ地下鉄日比谷線の先頭車両に著者が乗るところから話が進んで行く。第4回開高健ノンフィクション賞を受賞。

頭脳明晰な若者がどうして、麻原彰晃こと松本智津夫のような愚劣な人間にやすやすとマインドコントロールされ、殺人までおかしてしまったのか、私は豊田の同級生が書いたと言うこの本に興味を持った。読み始めるとほどなく「相棒」と呼ぶ女子大生が現れて質問形式で話がすすめられる。もしかしたら期待はずれの作品かなと思っているうちに、どんどん引き込まれて行った。

読み終えても、豊田がどのようにオウムに入信したのか、麻原にどのようにマインドコントロールされていたのかなどの、私が一番知りたかった豊田本人からの話を読むことはできなかった。その疑問が残されているのも、この本の魅力かもしれない。書かれていなくとも、マインドコントロールから解き放たれた、生来の豊田の人となりは伝わってくる。オウム事件のみならず、戦争やテロについても触れられ、テロ再発防止への著者の思いも伝わってきた。

読んでいる途中、伊東氏がサングラスをかけ、インタビューに登場した別の理由に気がついた。私の勝手な推測かも知れないが、読んだ人だけがニヤリとできるかも・・・。

実は、この本を私は購入していない。昨年は「読んで面白かった」という知人もいなかったし、伊東氏の人となりもまったく知らなかった。賞をとったと言うだけで、期待を裏切られるような本だと嫌なので、買わずに宮城県立図書館に購入のリクエストを出していた。その本が数日前に届いたのである。購入しても損のない内容だと思う。

「さよなら、サイレント・ネイビー地下鉄に乗った同級生」
集英社 1,600円

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コメント

michikoさんコメントありがとうございます。

宗教心の定義はむずかしいのですが、真の宗教心を持って、オウムに入信した人たちが少なからず存在していたようです。

豊田の宗教心についてはわかりませんが、正義感は強い若者だったようです。とにもかくにも、どのようにマインドコントロールされてしまったのか明らかにすることが、同じような犯罪や殺人を繰り返さないようにすることだと思います。

投稿: ようこ | 2007年1月25日 (木) 午後 08時54分

「不満や不足もありますが、それらを数えることはしないで、恵まれていることに感謝して暮らすことが今の私の心の支えのひとつになっています。」

本当にそうですよねぇ~!ようこさん。
私も学生時代の親友、新潟に住んでいた頃の親友も今はもうこの世の人ではなく、自分は生かされているのだ、と 元気でいることへの感謝の気持ちを大切にしています。

オウム事件の麻原にマインドコントロールされた人達には知的水準の高い人も多かったのは、心の持ち方を追求したり哲学的で宗教心の高い人だったからからではないでしょうか?

投稿: michiko | 2007年1月25日 (木) 午後 02時21分

schmidtさん、心にひびくコメントありがとうございます。昨夜クオリアさんのブログを読んで、とても気になっていた所でした。

「心を語ること自体、それだけ難しいので、自分に合う『人々とのチャンネル』を探すのも難しい。」。本当にそうですね、schmidtさんは、実にわかりやすく表現して下さいました。

お母様に「寂しい」と泣かれると子は切ないですね。老いの寂しさを実感する年齢ではまだありませんが、老いを生きる親の側に寄り添っていると、自分の老いへの心構えを学ばせていただいているような気がしています。

不満や不足もありますが、それらを数えることはしないで、恵まれていることに感謝して暮らすことが今の私の心の支えのひとつになっています。
老いの寂しさを実感する時、私はどう乗り越えるのでしょうか・・・。この問題は死ぬまで続きますね。

投稿: ようこ | 2007年1月24日 (水) 午前 06時51分

>心を語ると忌み嫌われる時代

 クオリアさん、そうでもないかもしれません。心のありようについて、人はやはり常に気にしていて、自分の迷いや悩みを聞いてくれる存在を求めているのだと思います。わたし自身、50代半ばに至り、親、自分、子、孫と4つの世代がやっと見えるようになりました。特に最近では、70代後半に差し掛かった母親が「寂しい」と言って泣くようになりました。彼女を見ていると、自分の思いが自分を傷つけているようなところもあります。「心」のありようとは本当に難しいものです。多かれ少なかれ、周囲の知人、友人もまた同様の体験をさまざまに経ているようです。

 心の問題は難しいものだと思う半面、またその逆に、心がつないでいく「絆」の素晴らしさのようなものを感じるようにもなりました。宗教心の極めて薄い、わたしのような人間は、やはり周囲の生身の人間から伝わってくるメッセージが重要です。たとえばクオリアさんがブログにこめる言葉の中から、くみとるものが多いわけです。思うに、心を語ると「嫌われる」のではなく、心を語ること自体、それだけ難しいので、自分に合う「人々とのチャンネル」を探すのも難しいのではないかと愚考する次第です。

 ようこさん、この場をお借りしました。クオリアさんにうまく届けばいいのですが・・。

投稿: schmidt | 2007年1月24日 (水) 午前 04時23分

クオリアさん、コメントありがとうございます。

「自分は攻撃されている」という被害者意識にとらわれると、人はあい路に落ち込むようです。

エリート豊田がどうしてサリンを撒いてしまっ
たのか、理由を聞きたいですね。

投稿: ようこ | 2007年1月23日 (火) 午後 09時10分

[読んでいる途中、伊東氏がサングラスをかけ、インタビューに登場した別の理由に気がついた。私の勝手な推測かも知れないが、読んだ人だけがニヤリとできるかも・・・。]
ようこさん ここの文字が非常に関心を持ちました。犯罪を犯した人は 知能指数も良く 偏差値も良い ここに私は大いに疑問がありました。心・優しさがない。教育は偏差値の良い人だけ 社会にはいらない人を育てなのですね。映画「長い旅」の名画はモービルでは上映されなくて小さな映画館だけで上映され20:45から1回だけ
心を語ると忌み嫌われる時代 小学校の生徒が校舎から飛び降り 気候も異常・・この世終末ですね 

投稿: クオリア | 2007年1月23日 (火) 午前 07時33分

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