2010年12月31日 (金)

御所と離宮見学

101028tshishinnden お正月の準備も見通しがつき、延々続きそうな片付けを一時止めて、書きそびれていた寅年の出来事を大晦日に更新です。

平成22年10月28日から30日、京都御所、仙洞(せんとう)御所、修学院離宮の見学をしてきました。
いずれも宮内庁に葉書で申し込みをして、当選しなければ見学できない所です。若い友達が手続きをして下さリ、解説者つきのいい見学ができました。ありがとうHちゃん。

上記写真は、京都御所の紫宸殿。
京都御所の見学は10時から、飛行機が遅れ、伊丹からタクシーでかけつけ、10時5分前に御所の入り口に到着。遅れたことを、御所の事務所に電話をすると「タクシーを降りた所から見学場所の門まで10分歩かなければなりません。せっかく遠方からお参り下さったので、午後1時から見学できるようにいたします」とのありがたいお言葉。
見学時間まで、御所近くの、京都らしいお店で出し巻き卵定食のランチ(美味しいけれど、ちょっとおかずがもの足りなかった)をいただいて、午後からの見学時間の調整をしました。

見学できる御所の事務所までは砂利道、しかも小雨が降っている。お腹にキャリーバッグを抱えて、歩かなければならなかったのは、至難の業!1人での旅なら、一旦宿に荷物を置いてきてから行動に移るとか自分で計画を立てるのですが、人まかせにしていたバチかも・・・。キャリーバックは、ロッカーに預けて、無事1時間見学することができました。

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午後3時からは、左の写真の仙洞御所の見学。写真手前の、形のいい丸い石は、石1ケを1升のお米と交換したそうで「一升石」と呼ばれています。形のいい揃った石で砂浜を表現しています。

小堀遠州作の庭園を、御水尾上皇が、池泉回遊式大庭園に造り替えたとのこと。

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29日は、修学院離宮見学。御水尾上皇の山荘で、回遊式庭園となっています。見下ろした庭園は絶景。四季折々に見学してみたいものです。

御水尾上皇は、幕府との軋轢に突然の退位を表明しました。いろいろあったようですが、そこは専門のサイトをご覧あれ。
ともかく、寅年中にブログをアップ!!

午後からは、残りの家事を片付けます。
では、よいお年を迎えられますように。

桂離宮は、今回抽選にはずれましたが、1度は見学してみたいものです。「税金がかかっても、この日本の文化と美を未来に残したい」と、思う庭園と建物でした。

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2010年5月11日 (火)

母の日は桜とすいせん

Ss201005susenmaturi_2 要介護4の父をショートステイに預かっていただき、5月7日から10日まで、91歳の伯母と従妹と、84歳の母の4人で遠刈田温泉に行ってきました。

前日の雨は上がり、8日はいいお天気。湯宿の窓から見える木々は、芽吹き始めたばかり。蔵王連邦のいくつかには、雪がまだ少し残っています。

「宮城蔵王のすいせん祭り」を見に行くことにしました。要介護2の伯母は「何度も見ているので」と、湯宿に残り、母と従妹と3人で出発。すいせんは咲き始めたばかりで、みずみずしく、最高の見ごろ。今年は4月に雪がたくさん降ったお陰で、すいせんと一緒に山桜も眺めることができました。

「従妹と私は、ゴンドラで上まで登るので、お母さんは、食堂の窓から花を眺めていてね」と、杖なしでは歩けない母に話しました。「大丈夫、私も登る!」と、言って、気力満々の母。

ゴンドラの係の人が「ゴンドラをちゃんと停止させて、乗り降りさせるから大丈夫」と言ってくれたので、母も山頂まで。ゴンドラから下を見下ろすと、木々は芽吹き始めたばかりなので、地面や雪解け水でできた小川までがよく見えます。展望台からは、太平洋、釜房ダム、遠刈田温泉、雄大な景色を眺めることができ、母は満足。いつもの母なら、とっくに足が痛いと言い出すのに、不思議!

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10日、帰りのすずらん峠から望む山々は、微妙な緑の濃淡が美しく、春の季語「山笑う」とは、こんな景色景色かしらと、しばし見とれていました。釜房湖畔に近づくと、八重桜が満開。伯母も母もお花が大好き。「桜の花の塩づけを作りたい」と、太く短い足の母が柵を乗り越えて、少女のように桜の花を思う存分摘みました。めでたし、めでたし!

「月に1度は、温泉に行きたいね」と言う母に、私は苦笑い。
出かけるとなると、私は夫の朝と夜の食事の支度をしなければならないので、準備だけでも疲れてしまう。心の中では「3ヶ月に1回ね」。今夜は、母の摘んだ桜の塩漬けづくりもせねばならないし・・・。

なにはともあれ、美しい風景と温泉に、伯母と母はリフレッシュできた様子。お天気にも恵まれ、良かった、良かった。

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2009年6月18日 (木)

京都一人旅(その2)人形にひかれ「アイトワ」へ

9aitowa0020 京都2日目は、百人一首をテーマとした体験博物館「時雨殿」で遊び、嵯峨野の天龍寺をじっくり味わい、天龍寺の北門から出て、竹林の道を抜け「常寂光寺」に向かいました。

車が1台通る時は、人はお腹を引っ込めて車を避けなければならないほどの狭い道になりました。喫茶店の看板を見つけましたが、お蕎麦が食べたかったので、店に入らず、入り口を通り過ぎると、その店の庭の木に坐っている可愛いお人形を(写真)見つけました。人形にひかれて、店の入り口にもどってお店の中へ。

注文したピザとコーヒーを待っている間、展示販売している人形や絵葉書や本などをながめていました。この人形たちには、いつかどこかで出合ったことがあるような懐かしい感じがしました。

お店の方に聞いてみますと、この店は「アイトワ」というカフェテラスがついている人形工房で「いきいき」などの雑誌に紹介されたことがあるそうです。何回か記事を読んでいるので、なつかしい気持ちになったはずです。

「アイトワ」とは、「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の3つの意味を込めて、名づけられたようです。

思いがけず、この店のオーナーでもあり、人形作家の森小夜子さんとお会いすることができました。ご主人の森孝之さんの著書「エコトピアだより」と佐代子さんの愛らしい人形の絵葉書を買いました。

9aitowa0021_2 森小夜子さんに、帰りの京都駅までの電車の時間をお聞きしてから、人形の展示室を見せていただきました。ガラスケースに入っているお人形たちは、洗練されていて、かつ今にもおしゃべりを始めそうな感じです。

「アイトワ」の隣は見学予定の「常寂光寺」でしたが、その見学はパスして、嵯峨嵐山駅へのんびりぶらぶら歩き、夫と約束している京都駅に向かいました。

一人のぶらぶら旅では、いろいろな人との出会いがありました。夫婦にも、いつかは永遠の別れがきます。一人旅は、いつか訪れるであろう一人の時間をどう生きて楽しむかの予行練習・・・。

「エコトピアだより」は、とても読みやすい文章で、地球や人間に優しい生き方(自然循環型社会)を考えさせられ、気持ちがホンワカします。エコエコと叫ばれるようになってきても、電気などのエネルギーをたくさん使う暮らしをしている現代、森ご夫妻のような生き方をしている方がいることに救われます。なかなかマネはできそうもありませんが、なにかひとつでも実践できたらいいなあ。

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2009年6月14日 (日)

京都一人歩き(その1)

2koudaiji0004 6月上旬、京都に行く夫に便乗して、私も2年ぶりの旅に出ました。日中、夫は仕事があるので、私は1人古都京都の街を楽しみました。

新型インフルエンザ騒動で、マスクや消毒液を用意して出かけましたが、1度も使うことがありませんでした。

流行の発祥地関西といえども、マスクをかけている人は少数。しかし、ホテルの入り口やビルのトイレなどには消毒液が用意されていました。   (写真は高台寺の庭)

京都での行く先は、前夜、見たい方角を決めただけのラフな計画。多くの人に道を尋ねながらの旅は、時には世間話になったり、また反対に外国人の方から道や花の名前を尋ねられることもあり、いろいろな人との出会いがありました。

6gion0004地下鉄の駅で京都駅までの路線を尋ねた相手は、中国からの留学生。彼女の父親も、前に日本へ留学をしていたとのこと。京都の人は親切だけれど○○の人は違っていたなどと、おしゃべりに花が咲き、別れがたくなってしまうほどでした。

京都1日目は清水寺、高台寺、八坂神社、知恩院、青蓮院の見学と盛りだくさん。一人での見学の後、仕事を終えた夫と、夜は祗園で食事をしようと手ごろな店(安い)を探していました。すると、どこからかうなぎの蒲焼のにおいが。即座に鰻を食べることに決定!!

夫は、祗園で食事をしただけで、古都らしい所は一ヶ所も見ていません。もったいない。

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2008年1月18日 (金)

過剰な寒さ対策

A24c023_2温暖化と言っても1月2月の仙台は寒い。今日は愛用のホッカイロを背中に貼りつけ、熱いココアを飲みながらブログを書いている。「寒い!」となると、昨年の私の失敗を思い出した。

2007年1月3日、夫はシカゴに出かけることになった。シカゴの冬はかなり寒いはず、正確な気温や気候を調べてみようとインターネットで検索をした。

「シカゴの1月は-10℃ぐらいになり、風が吹くと体感温度はさらに低くなる。厚手のコート以外にマフラー、帽子、耳あて、手袋、防寒靴も必要である。マフラーなどはおしゃれ用というよりは、目以外はすべて覆わなければならないほどの寒さである」というようなことが書いてあった。

かつて若い時、コネチカット州で冬を過ごしたことがある。風がビュービュー吹く中を私は歩いてひどい風邪をひいた経験がある。池をわたる肺まで氷るような風、エリに毛皮のついていた茶系のロングコート、帽子の上から頭と口を大きな白いマフラーで覆い、息をなるべくしないで、風が顔に当たらないよう下を向いて歩いていた自分の姿をリアルに思い出した。家に戻ると、外についていた温度計は摂氏-7度をさしていた。風邪を引き、熱が出て胸が苦しくゼイゼイ音がしたが、米国の病院に行くのが嫌で、日本から持って行った抗生物質を大量に飲んで一週間寝ていた。

異国で風邪をひいたら大変なことになると、私は夫の防寒準備を始めた。20年前と違い、今は薄くて、とても暖かい肌着があるので、デパートで遠赤外線なんとかというシャツと下ズボンを購入した。

調べれば調べるほど「シカゴはミシガン湖からの冷たい風が吹き、寒いというよりは痛いほどの寒さである」などという記事ばかり出てくる。またまた心配になり、スポーツ用品店で冬のエベレスト登山でも大丈夫という下着を購入し、さらに網目の詰まった帽子とマフラー、厚手の靴下も準備した。もちろん貼り付けられるホッカイロも大小取り混ぜて、持って行ってもらった。

夫がシカゴにちょうど着いた日「米国は何十年ぶりかの暖冬で、ニューヨークでは櫻が咲いた」とのニュースが流れた。夫からは「シカゴは帽子もマフラーも必要ない。靴下が暑い!普通の靴下は入ってないのか?」との、メールが送られてきた。肌着は汗を吸い取り、すぐに乾く素材なので、汗をかいてもドライ感があったようだが、靴下はただの厚手だったので、足はむれてたまらなかったようである。

帰国した夫を地下鉄の駅まで迎へに行った。小雪ちらつく中、コートの前ボタンを全部はずして帰ってきた夫を見つけた時、ちょっと危ない人に見えた。夫の足にはアメリカ生まれの水虫ができ、エベレスト登山用の下着はその後着られることはなかった。
本日のシカゴの気温-10℃。

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2007年4月 1日 (日)

1度は行きたい六本木

100kokuritushinnbi_2  甥の結婚式に出席した帰り、国立新美術館と東京ミッドタウンに寄ってきました。4月1日はなんと24.5℃!桜が満開。

国立新美術館では「異邦人たちのパリ」を見てきました。藤田嗣治の「カフェ」、フジタの乳白色の肌をやっと見ることができました。会場は4つのセクションに分かれていましたが、フジタやシャガール、カンディンスキーなどのある1セクション以外は、どうも興味がそそられませんでした。

今回は絵画よりも国立新美術館の建物を見ることがメイン、近代建築としてはもちろん一見に値します。なん百年と維持し続けるヨーロッパの石や大理石でできた建築物と比べると、この美術館はなん年もつのだろうかと、つい考えてしまいました。

100tokyomidt_1 東京ミッドタウンは、3月30日にオープンしたばかり。オープン最初の日曜日ということもあり、人の波。中高齢者にとっては、あちこちに椅子が置いてあるのがなにより助かりました。私にとってはハイカラなお店より、ビルの横のミッドタウンガーデンの方が気に入ってしまいました。

ミッドタウンガーデンは、防衛庁の跡地の桜などの高木を生かして、新しくデザインされたようです。数年したら、もっといい庭園になりそうです。日本の近代建築より、桜や芽吹き始めの緑により感動します。

上の写真は国立新美術館

左の写真は東京ミッドタウン

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2006年11月30日 (木)

ミレーの村とフォンテ-ヌブロー(7)

10月30日フォンテーヌブローとパリ市内散策 

Atorie○フォンテーヌブロー行きのバスツアーに参加。

フォンテ-ヌブローはパリの南東65kにある。途中ミレーの「落ち穂拾い」で有名なバルビゾン村に寄る。のどかな小さな村の紅葉した蔦が澄んだ空気の中で輝いていた。村のメインストリートを歩きながらミレーの住宅兼アトリエを見学。落ち着く村の雰囲気はなかなか良くて、有名人がよく泊まるというプチホテルもある。「落ち穂拾い」が描かれた麦畑は、メインストリートのすぐ側に広がっていた。

フォンテーヌブロー城

100kfontennaporeon_1 フォンテーヌブロー城は、ベルサイユ宮殿よりは、一見地味に見える城であるが、歴史上からはなかなか興味深い城のようである。国王が狩猟を楽しむために作られた城だが、12世紀から何世紀にもわたり歴代の君主が、自分好みに改装していった足跡を見ることができる。

写真はナポレオンの執務室、仕事をする机の後ろに、天蓋のついたベットも置かれていた。忙しいナポレオンは、寝室で眠るより、この執務室で休む方が多かったらしい。「フォンテーヌブロー城が一番心休まる所だ」と言っていたそうである。

ナポレオンがエルバ島に流されることになった時、兵士に別れを告げた「決別の広場(馬蹄形の外階段)」では、片手を挙げたナポレオンの姿が目に見えるようだった。庭園もみごとであるらしいが、季節が悪かったのか、殺風景だった。パリには午後1時に戻る。

一旦ホテルで休憩、午後はパリの中心街をゆっくり歩き、シャンゼリゼ通りのオープンカフェのある店に入る。この店は外のテーブルと通りとの間に、低めの植木鉢が生垣のように置かれているので、落ち着いてなかなか良かった。

100kmire_110月31日(火)ドゴール空港出発午後13時45分
11月1日(水)午前8時成田着帰国

今回は珍しく飛行機酔いをしなかったので、メデタシメデタシ。疲労困憊しているのに上野でエルミタージュ美術展に寄ってから家に戻る。

旅日記は、後1回パソコンについて書いておしまい。書いたことで、旅の記憶が消えずにすんだ。帰国してからひと月が過ぎ、毎日家事と雑用の山でパリの芸術とは縁のない暮らしだが、旅の前とちょっと違う感じがする。18年前のパリ旅行の後より、今回の方が多くのものを吸収できたような気がする。

旅日記を読んで下さったみなさま、ありがとうございました。

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2006年11月23日 (木)

フランスの芸術堪能(6)

100klovresamotora_110月29日(日)ルーブル美術館、オランジェリー美術館、オペラ・ガルニエでのコンサート(過密スケジュール)

ルーブル美術館
ダン・ブラウンの「ダ・ビンチ・コード」のお陰で「モナ・リザ」の前には8~10mの幅で15mから20mの列ができていた。前に来た時には、せいぜい3~5列程度で、一瞬、人が少なくなる時間があり、モナリザを右から見たり左から見たりと移動してみて、モナリザの目が私を追ってくるかどうかを確かめたものである。今回はモナリザをチラリと見ただけで、そそくさと退去。覚悟はしていたが、美術館内は広く、目的の絵にたどり着くのに時間がかかった。今回はダ・ビンチの「岩窟の聖母 」「洗礼者聖ヨハネ」、フェルメールの作品が印象に残った。ルーブル超高速見学とは、モッタイナイ。

100krunoaruoranjeriルーブルで昼食をとった後、ちょっとホテルで休憩をとり、オランジェリー美術館へ向かう。オランジェリー美術館は2000年から2006年の6月まで改修工事のために閉館されていた。見どころは壁1面のモネの「睡蓮の間」であるが、疲れていて椅子に座って、ぼんやり見学。モネよりは、ピカソやルノワールの作品の方が印象に残った。

オペラ・ガルニエの演目
ベルリオーズ 歌曲「夏の夜」他 
モーツアルト 弦楽五重奏 K.593

100koperazakaidan_1夜はオペラ座でのコンサート、開演は8時半である。せっかくパリに行くのだからと、出発前に夫がインターネットでチケットを購入していた。オペラのチケットはとうに売り切れ、かろうじて少し席が残っていたのが10月29日の室内樂だった。当日だったらきっと買えなかったことでしょう。
「オペラ座の怪人」の舞台にもなった劇場、観客席の天井にはシャガールの「夢の花束」、絢爛豪華な絵画や彫刻、シャンデリアをあしらった部屋もあり、内部の見学だけでも充分価値がある。1人20ユーロ(3千円程度)とは安い。客席は満席で、聞き入っている観客の表情に、フランス市民のクラシック音楽の浸透を感じた。一方、私は1時間もすると、座りごこちの悪い椅子にモゾモゾしだし、姿勢を変えるために立ち上がりたい衝動を我慢するのが大変だった。

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2006年11月21日 (火)

モン・サン・ミッシェル(5)

100kmichelzenkei10月28日(土)世界遺産モン・サン・ミッシェル見学:
フランス随一の巡礼地で年間350万人が訪れるという。

フランスに行く話しがなければ興味を持たなかった修道院モン・サン・ミッシェル。日本人の行きたい世界遺産の3番目だそうである。旅は私の「台所的な狭い視野」を広げてくれる。

モン・サン・ミッシェルは、8世紀初頭、聖オベール司教が夢で見た大天使ミカエルのお告げに従い、修道院を建てたことに始まる。11世紀から13世紀に造られたゴシック建築が、現在の姿だそうだ。

かつては潮の満ち引きによって、陸続きにも孤島にもなった修道院、島と陸とをつなぐ道路(堤防?)ができた1870年以来、孤島になることはなくなった。島の周辺には堆積物(泥)がたまり、大潮で海に囲まれる回数は、年に数回だけになった。現在、道路を橋に作り直し、ダムを建設して泥を流し、かつての海の孤島に戻す計画が進行中である。計画が完了し、歩いて島に渡ることになると、昔の神秘的な修道院に戻ることでしょう。院内は歴史を物語るように、複雑だった。

100kmichelaozoraモンサンミッシェルへは、日本語ガイドつきのバスツアーで行った。さすが人気コース、日本人ばかりなのに2台の大型バスツアーとなった。運転手さんは2時間おきに交代するため、2人もいる。

朝7時半出発しパリに戻ってきたのは午後9時。朝は小雨が降っていたのに、モンサンミッシェルの頂上についた時には青空となり、大天使ミカエルが歓迎して下さった。

ガイドの高木さんは、すごい物知り。話し始めると、次から次と説明したいことがあふれてきて、最初の大事な話がなんだったかわからなくなるが、ちゃんと元に戻るところはさすがベテラン。高木さんのお陰で、長いバス旅行もたいくつすることはなかったし、パリの北西、ノルマンディー地方の牧草風景を見ることもでき、いい旅となった。

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オルセー美術館(4)

100korinpas_2  10月27日 オルセー美術館の見学と街の散策

今日は11月20日、フランスでの感動がどんどん薄れてゆく。写真を見ながら思い出しましょう。

夫の絵画鑑賞に長年つきあっているうちに、絵を見る楽しみが少しわかってきたような気がする。このごろは美術関係の面白い番組も増え、見るのに忙しいほどである。今回の旅では、大人気のルーブルよりも、まだ見ていないオルセー美術館の方が楽しみだった。

オルセー美術館は、1900年に万博のためにオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎である。交通網の整備にともなって、この駅も1939年には使われなくなったが、駅舎を改装し1986年12月に美術館として開館した。改築前の建物は真っ黒けで、建物を壊す話もでていたと聞いている。

ミレー、モネ、ルノアール、シスレー、ゴッホ、セザンヌなど、印象派ファンにとっては、たまらない美術館である。自然光を取り入れたみごとな建物、印象派の宝物の絵画に囲まれた感動は、常識程度の知識しかない私でも身震いするほどである。

100korsaymosya33_1 ヨーロッパやアメリカの美術館に入って驚くことは、フラッシュなしで写真を撮っていい美術館が多いことで、後日に行く、オランジェリー美術館もそうである。ルーブル美術館は、モナリザの置いてある部屋やいくつかの部屋は、撮影禁止になったようだが、撮影できる部屋はまだまだ多い。本物の絵画の前で模写をしている人がいることも、日本では考えられないことである。

上の写真はオルセー美術館ルノアールの「ルーラン・ド・ラ・ギャレット」の前で模写している。

100korsayrestran_1 ゆったりと名画を鑑賞しお腹がすいたら、感動の余韻を壊さないような素敵なレストランで食事をしたい。オルセー美術館2階のフランス料理のレストランは、お勧めである。宮殿の中のような雰囲気のレストランで、味もフランス滞在中の食事の中で一番美味しかった。

オルセー美術館はもう一回りしたかったが、ホテルへ一旦戻り疲れをとってから、夕暮れのパリの街を散歩した。

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